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雲見温泉・雲見園-4-

西伊豆の小さな町で教育に熱意をかけた岩科学校がある。知れば知る程、日本の底力を感じる。
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第68章 雲見温泉・雲見園-4- 
Chapter 68 section 4, Shizuoka prefecture, Kumoni onsen, kumomien -4-
English information : kumomien

68.6 岩科学校 (Iwashina school)

 今回は紀行です。温泉旅行の楽しみの一つは近場のスポットを訪れることだ。今回も松崎町に立ち寄った。岩科川を車で数分遡ると左手に岩科学校がある。岩科学校(小学校)は明治13年に寄付(約4割)も募って作られた。松本市の開智学校とともに古い学校で重要文化財になっている。地域では「重文」と略称して親しまれている。建設費は今の価値で1〜2億円と想像すると、4割というのは相当な寄付金だ。教育熱心な町であることは間違いない。それに、学校を実際に造ったのも町の大工さんだという。これまた見事な腕前。この地域の文化的成熟度がわかる。その後、改修(1992年)されたのも町の大工さんだ。

・ 岩科学校のデザイン画、設計図のように細やかだ。
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・ 正面の門
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・ この佇まいは、東京にあっても、京都にあっても強い存在感を放つだろう。正面の両翼にも建物が貼り出し、鶴のようだとも言われる。
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・ 洋館のようでもある。両脇を締める松が威厳があって、バルコニーもとてもおしゃれで印象的だ。
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 真っ白な建物、中央に象徴的なバルコニー付きの玄関、左右対称に両翼に翼を広げたような造りは、平等院鳳凰堂をヒントにしたとも言われている。和風洋風折衷式で明治のかなり初期に、文明開化の影響を受けたもの。当時、特別大きな町でもない所で、これだけ豪勢な学校を作った町民の方の教育にかける熱意の賜物だ。世界に誇っていい日本の優れた文化だと思う(建築物ではなく心のあり方が)。もし、世界の新興国の中で、道路や発電所等のハードインフラを作るより、学校や教育システムを充実させる国があるとすれば、その国は間違いなく伸びると思う。今の時代はあまりに即物的で近視眼ではないだろうか。

・ 庭には巨木の赤松が一本。龍のように伸びている。この斜めに伸びた松は、文頭の最初のデザインが画の左手に描かれている。
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・ 右手に伸びる建物。
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・正面も堂々としている。バルコニーの上に掲げられた「岩科学校」の揮毫は時の太政大臣・三条実美による。つまり、中央政府とも通じる文化的ルートがあったのだろう。
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・ バルコニーにある龍。これも漆喰だろうか。
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・ バルコニーから正面を見る。どう見ても一流の洋館だ。
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・ 雰囲気がいい。
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・ 漆喰で作った鳥と 二階の広間にある鶴。
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 実は138羽の鶴が描かれている。漆喰の名工・入江長八の作品だ。鶴が象徴になっていることが、日本人の穏やかな心根だと思う。ヨーロッパの古いお城にあるようなマークは鷲が多い。怒れる物々しい鷲だ。沢山の国がひしめき合い、戦争の絶えない西洋では、鷲が必要だったのだろう。中国では龍になる。龍は世界を俯瞰する。しかし、日本の象徴は優雅な鶴だ。自然とともにあり、地面で舞い、空を飛ぶ鶴に憧れる、その感覚になんの不思議も感じない日本人は独特の美意識を持っているのではないだろうか。

・ 入口付近。
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・ 障子が随所にあって和風内装になっている。
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・ 松崎町独自のなまこ壁が綺麗だ。
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・ 螺旋階段も年期が入っている。
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・床も味がある。ワタシが小学校の頃は、こんな床をぞうきんがけしたものだ。古いタンス、もう朽ち果てる寸前のものが展示されている。いいと思う。
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・ 校長室と校長先生。おそらく、教員室でもあったと思う。先生は当時6人。開講当時は、およそ150人の小学生が学んだとされている。
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・ 当時の教室を再現したもの。右奥の女の子は子守しながら授業を受けている。昔は保育所がなかったからリアルだ。
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・ これは先生の目です。今も生きているようなリアルさに圧倒された。熱意と愛に満ちているから。
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・ 昔の生活を再現したもの、おばあさんと子供。そう、お母さんとお父さんは仕事に行っているのです。
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・ 昔の道具が沢山展示されている。
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・ 手動扇風機が面白い。
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・ 学校の前庭から山々を見る。雨模様だったので水墨画のようだ。
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・ この建物は開花亭と呼ばれ、明治8年に作られたもの。岩科村役場としても使われて来たもので、現在の地に移築された。味がある。
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・ 中には土産物が売っていた。なかでもブリキのおもちゃがなつかしい。確かに昔はブリキだった。ろうそくで走るポンポン船がなつかしい。大昔には夜店で売っていた。
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 松崎町は歴史と文化の街、というのが率直な感想だ。地域が一体となって人を育てている。漁業と農林業を主体としたこの地域で、優れた教育家、芸術家、大工もいる。日本の地域社会の縮図だがレベルが高い。ただ、過疎化の波はここにもひたひたと迫っている。岩科学校のすぐ横に見える岩科小学校は廃校になり、松崎小学校に統合された。しかし、岩科学校は永遠に引き継がれて行くと思う。
 -5-ではもう一つの名所「長八美術館」を訪ねる。


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.30 2014 温泉 comment0 trackback0