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余談14 映画「her(世界でひとつの彼女)」

ありえない「恋物語」か?それとも人工知能の進化を予言する映画か?
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余談14 映画「her(世界でひとつの彼女)」

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 温泉のブログでこんなことを書くのは本来控えるべきだと思うんですが、でも、少々ビックリしました。実は、6月17日に映画「her(世界でひとつの彼女)」の試写会に行きました。

 あらすじはこう…近未来、(魅力的な人間の)妻と別れようとするオタクっぽいロス在住の男性(セオドア)が、コンピュータのとても人間らしく会話するOSに恋をして、次第にはまって行く様子と結末(最後はこちらとも別れるが)が描かれている。コンピュータのOSは女性(の声を選択したので)の「サマンサ」という。

 サマンサは、最初は(ワタシからみれば)ややぎこちなく、しかし、次第に進化してより人間らしさを獲得し、あたかも、実在の女性(あるいは知性・感情)がいるような錯覚にセオドアを陥らせる。モバイルの向こうから聞こえてくる見ず知らずの魅力的な女性だ。セオドアは相手がコンピュータか人間かの区別がつかなくなり、声(スカーレット・ヨハンセン)だけの彼女と「お互いが」恋に落ちてしまう、というもの。本年度アカデミー賞オリジナル脚本賞を受賞。

 いにしえのピノキオからアトムまで、人間は「人間の心を持った機械」に特別のファンタジーを感じている、とは思う。

 しかし、家に帰ってみて、あらためてチラシを見て驚いた。そこには「恋物語」のことが書かれていたから。チラシには「ありえないはずのAI(Artificial Intelligence:人工知能)との恋にまさかの共感!恋のゆくえの意外な展開に驚き、涙する。今の時代だからこそ誕生した、ラブストーリーの新たな金字塔。」とあった。まさか!ワタシがヘンなのか?
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 多くの観客は、リアルではあるが違和感も覚えつつ、「純粋な恋」と捉えている人もいないわけではないようだ。というのは、現代人は、face to faceだけではなく、スマホの向こうから聞こえてくる声とも話しているから。でもでも…

 約45年前、まだコンピュータがありふれてない機械であったころ、映画「2001年宇宙の旅」で高性能のコンピュータ「HAL」(IBMの一つ前のアルファベット)が機械として生き残る為に人間を殺す場面が出てくる。次に、この「HAL」が人間に電源を切られる時になって、「ワタシワコワイ」と言う…。コンピュータは知性や感情を持てるのか、あるいはどうしたら持たせられるのか、という問題を提起し、その後の人工知能研究に大きな影響を及ぼした。

 1936年にアルフレッド・メイヤーが、1950年にアラン・チューリングが、各々、似たような問題を提起した。簡単に言えば、例えば声だけの相手が人間か機械かは分かるのか?というものだ。(その後の研究では、以外とわからないもの、という結果も出ている) 

 1990年の少し前に、ニューラルネットのアルゴリズムが登場し「学習」という概念が数式で「初歩的に」定式化された。しかし、あらゆる情報を学習すれば、つまり、あらゆる会話/文学/新聞/雑誌/写真/映画/演劇/心理学/携帯電話の記録等を学習し、相手の言葉の意味を理解し、心理に即した文脈を言葉にしたら、相手に「共感し、思いやりつつも、挑発し、媚びる…」こともできるのではないか。(夢がない?)

 人間の心の動きは、唯物論では、脳の中の化学反応と情報伝達、情報記憶という物理現象と捉えるから、それを模擬すれば人間と同じような「知性」や「感情」を持てるのではないか。逆に、人間の心は、数値化したり予測できない心理的なものであるから、物理的な現象だけで説明できる「はずがない」、という考えもある。

 最近は「なりすまし」もあり、今は人間がなりすましているが、いつかはコンピュータに「なりすまし」をプログラミングされて、実際になりすますことは早晩可能になるだろう。映画では人間がコンピュータ(サマンサ)になりすますことさえ描かれている。

 さて、この映画「her」は機械との純粋な「恋物語」か?人工知能の近未来を予見しているのか?が気になるところ。ワタシは瞬間に後者だと思った(まったくロマンがない)。だから、HALから45年後の今、携帯やパソコンで見えない相手とつながっている現代で、話題になったのではないだろうか。

 サマンサはセオドアに告白する、「このように会話している相手は8000人以上、親密な関係にある人間は約160人、でもあなた「セオドア」だけは特別だ」と。カスタマイズされたプログラムであればこの160人にも同じように「あなただけよ」と160股の回答をするだろうし、「恋物語」ならセオドアだけに回答するだろう。(今回の設定はセオドアだけ、しかし、セオドアは160股に嫉妬する。)彼女は役目を終えて、そして、セオドアは最後は人間に戻って行く。

 今は、荒唐無稽な、この物語の示唆は、今後30年以内にかなり大きな社会的な問題になるのではないか、ということ。コンピュータが登場する前のインタラクティブな関係は、人間や動物との交流しかなかった。ところが、人間とのコミュニケーションが希薄なまま、ゲーム漬けで成長した人間は、実在とバーチャルの区別は今でもできていないのではないか。だから、近未来の電脳社会の危うさを予言しようとしたのではないか。すでに、URLをクリックするだけで、あらぬところに受動的に連れて行かれることは日常になっている。

 ゲームオタクとは、すでに電脳社会へ拉致監禁された人である。

 「her」は恋物語の「文脈」ではあっても「恋」ではない。少し意地悪な見方になってしまうけど、映画の中ではセオドア自身がなしすましの職業(代筆業)である。つまり、なりすまし同士の恋ということになる。皮肉なハナシだ。監督は一体なにをねらっているのか、やはり恋ではない。恋ということでだまされる様子を皮肉っているのかもしれない。

 ワタシはやはり、機械は「のようなもの」にはなれても、決して人間の心にはならないと、ごく自然に信じる。(ただし、区別することは難しくなって行く…)


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.20 2014 未分類 comment0 trackback0

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