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余談81 野崎島・旧野首天主堂(世界遺産)

まるで異国の孤島に降り立ったようだ、荒地に石垣を積み、丘の上で天を仰ぐ孤高の赤煉瓦教会。今は誰も住んでいない。沈黙の時。

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余談81 野崎島・旧野首天主堂
まるで異国の孤島に降り立ったようだ、荒地に石垣を積み、丘の上で天を仰ぐ孤高の赤煉瓦天主堂。今は誰も住んでいない。

 五島列島の北端に小値賀島(おじかじま)がある。歴史は古く遣唐使船の国内最終寄港地だった。小値賀島については次章で紹介します。

野崎島(のざきじま)

 野崎島までの道のりは遠い。まず五島列島の小値賀島に行くのに博多港か佐世保港から船(ジェットフォイル、フェリー)で1時間半以上(博多からは4時間くらい)かかる。

 さらに、小値賀島から小さな船に乗り換えて野崎島まで約30分。入島には事前予約(おじかアイランドツーリズム)が必要であるから、その気で行かないとだめだ。

 そこのハードルが逆にどうしても行きたくなる。水も食料もないから持参しなければならない。

・島影が近づくと断崖の島が迫って来る、こんなところに人が住んでいたのか。
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・島の南端を迂回して行く際に、舟森の斜面が見える。かなり急勾配の斜面、中央付近い十字架が見える。
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・桟橋から降りると目の前にビジターセンターがある。
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 野崎島に興味を抱いたのは20年ほど前?にテレビで東洋・日本研究家のアレックス・カー氏が紹介していたからである。

 カー氏が教会を訪れ、地元の人は「廃れた教会が一つ、他には何もない島という、日本人はこの良さがなぜわからないのか?」と問いかけていた。

 荒れ果てた廃島の石造り教会、誰も住んでいない、まさに秘境だ。ここは世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連施設」である。

・ユネスコのリストに登録されたのが2007年、正式登録は2018年、最近だ。
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 多いときは600名以上が住んでおられたそうだが、(1971年以降)もう住人はいない。

 野首から天主堂まで

 まず、ビジターセンターで簡単な説明と注意事項をレクチャーしていただいた。

・裏手にいくと10分ほど行くと旧爆裂火口跡がある。途中、たくさんの鹿に出会えます。
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・旧野首天主堂へは約20分かかるが、いたるところに昔の残骸がある。
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・建物は朽ち果てていくが、木々や花はたくましく行きて行く。ラピュタの世界のようだ。
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・時々、普通に鹿を見かける。(約400頭がいるそうだ)こちらも生命力溢れる。廃墟に生き物、これもラピュタの世界を彷彿とさせる。
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・しばらくすると左に素晴らしい海が見えてきた。
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・海岸もきれいだ。(見えないが右手に旧小中学校を利用した宿泊・キャンプ場がある)
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 旧野首天主堂

・旧野首天主堂が見えてきました。今は何もない荒地に石造りの土台、そこに赤煉瓦の天主堂だ。時々、また、鹿が横切る。
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・絵になる構図ですね。
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 まるで異国の孤島に降り立ったようだ。国内の教会で石造りは多くはないと思う。五島列島には多くの石・レンガ造りの教会が散在する。このような信仰の篤い地域はない。

・堂々としたファサード。
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・天に掲げられた十字架。
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・今は教会として使われていないので中を見学することができます。やはり静謐な空間。
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 教会は1908年にできた。五島列島の教会群の多くは鉄川与助氏の設計・施工である。天井はリブ・ボールド式(コウモリ天井)のアーチ曲線の梁で支えられている。

 氏はもともと船大工で、ペルー神父とド・ロ神父に学んだ。船底を逆さにしたのがこの天井だからか。

 教会は今の価値では数億円、それを当時の17世帯が拠出したという。鉄川氏はこの世帯に支払能力があるのだろうか、と思ったそうだ。

 実は信者は細々としたキビナゴ漁でお金を貯め続けて依頼したという。信仰のために生活全てを犠牲にしていた。そんなこと、今の日本ではできません。

 廃島になった現代的意味

 迫害・拷問に耐えて約250年、自給自足の世界が成立していた世界が五島列島だ。信仰を生きる糧と目的にしていた(崇高に見える)方々が、なぜ島を離れていったのか。

 自給自足経済から、貨幣市場経済が進行し、生活に現金が必要になり、出稼ぎに出ていいたのがきっかけと言われている。

 街に出れば、(島よりはるかに安定し、命をかけない)仕事で生きることができる。過酷な環境で生きる必要は薄れてきた。

 それで、徐々に島を離れた若者が親を呼び寄せて、廃島になったそうだ。でも、信仰は守っていかれたと想います。

 その結果、廃島にはなったが世界遺産登録で記録されて行くことになった。関係者のご尽力に脱帽です。

 もう昔に戻ることはできない。そこで、人々は資本主義も受け入れ、住む場所を捨てて生きることは、はたして享楽的なのだろうか? 信仰と生活とは別物だろうか?

 キリスト教そのものが過酷な自然環境で生まれた。生活に耐えつつも個人の幸せを追求して生きていくために信仰が必要であったのだろう。(歩ける範囲の世界を幸せにすることに心を砕いても、地球そのものを幸せにすることは視野の外だった)

 立地は人間に影響するが、その制約がなくなり、情報の流通性さえ解放された社会では、今や新しい宗教が必要なのではないだろうか。

 2022年に東ヨーロッパ世界で新しい虐殺が始まった。(個人原理に基づく今の)宗教はまったく無力なままである。しかし、近未来には、個人の幸せとともに人類が一つの家・地球に住むという制約での価値観が必要になる。

 シンプルな第一原理は「他人に暴力をふるうことを禁じる」だ。暴力には物理的と精神的とあるだろうが、まずは前者。これを地球人が認めあえば戦争を禁止できる。多数決で決めれば即決されるはずだ。

(しかし、水や食料がなくなれば他人から奪うだろうから、これを防止する=足るを知り、分け合う方法は決めれば良い。これが誠に能天気な考えだとしても。)

 第二原理は「生命への畏敬」(シュバイツアー)である。これを時間軸で達成していく方法論のサブイシューがSDGsだ。

 この二つくらいでいいのではないか。あとは当面、自由でよい。


次回は小値賀島、日月庵です。(Continue to next report)
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旧野首天主堂
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.06 2022 未分類 comment0 trackback0

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